ちゃんと検査しないと、よくわからない想像ばかりになるもんですね。 と始まりましたが、ここ数日不整脈が始まってちとしんどい状態になった。最初は大丈夫だろ?、すぐ収まるかなと思ったら数日続き、流石に三日頻発すると体も精神的にもぐったりしてきてついに病院で精密検査に。 結果的には白で普通(?)の不整脈でした。心室性期外収縮という病名らしく、典型的な不整脈らしい。取り合えず心配はなく、観察&薬をだしてもらい終了。 こんなに心臓がばくばくするのは生まれて初めてで、久々に本気で死を意識しました。外からの要因で死を意識した事はあっても、自分内部のものがコントロールできない怖さを感じるって本当に怖いもんですね。 寝る前にばくばくいってると本気で寝るのが怖かったです。寝たら知らない間に心臓が止まって死ぬのではと思ったくらい自覚症状があったので。先生曰く、個人的にわかりやすいのかもねとのことだけど。脈が飛ぶっていう感じは心臓が一瞬止まってる感覚なんですよね。実際は違うらしいけど。ようは心臓の動きの電気信号が正確に順序よくいってない状態だそうです。 結果的には大丈夫そうで胸を撫で下ろしてますが、体に不調があったらさっさと病院いくに限ります。結果はどうかわからんかもやけど、もしなんかあったら治療なり、共生なり心の持ちようが違うと思うし。 話が飛躍しますが、死っていうアポトーシスがプログラムされているのは万人に共通だし、人間の細胞はある一定まで成長のために生き、そのピークを超えると死に向って生きていくもんだと思ってます。よく言う言葉はその長い残りの人生をどんな風に充実していきるのかが重要だってこと。でも突然こんなことがない限り、日常で死を意識することはないですよね。死を意識するのって個人的には後ろ向きなイメージはなくって、むしろその後より生について向き合えるタイミングなんだと思ったりします。 でも結婚、子供が生まれて二十歳代と大きく変わったのは、そう簡単に死んでられないという事。笑。それまでは死ぬことは生と同義でいつなってもおかしくないと思ってたし。それは今でも変わらないけど、いまは死んでる場合じゃない、さっさと悪いとこ直していかなきゃなきゃと思うようになりました。そう思うと家族って不思議な存在ですよね。 昔親父が墓参りのときにぼそっと「所詮すべては土に帰るんだよ。」といった言葉がいまでも深く心に残ってます。とはいえ、それまでは無我夢中で生きていくんですけどね、人間つーもんは。
9.11はあのワールドトレードセンターが墜ち、対テロへの戦争に向かっていった日です。 あの時私はイーストリバーを挟んだブルックリンに引っ越してまだ一ヶ月目ほど。朝ルームメイトにたたき起こされ何が何だか分からないまま外にでてマンハッタンを見ると、道の直線上の向こうに見えていたWTCが煙りにまみれていました。 そこからの惨状は報道の方が詳しいですが、実際近くにいると、訳も分からず混乱したまま茫然と立ち尽くしていた事を覚えています。 その出来事から極端な事をいえば、此の世には絶対安全な場所はなく、いつ死んでもおかしくないという現実をリアルに認識しながら生きている気がします。 日本に帰ってきてこんな安全な生活を送っていますが、この日本でも最近は異常な事件が多発し、規模は違えど、いつなにがあるか分からない世界に生きているんだと、ふと思い出したりします。 あれから7年が立ちましたが、いまだに遺族や後遺症に悩まされ続けている方の事を思うと心が痛みます。 亡くなられた方のご冥福を心から祈っています。 ちょうど昨日の仕事帰り、電車に揺られ外を眺めながら、その時間が近づくにつれあの時を振り返り、思い出しました。 あの時覚悟した生きるという事を再確認しつつ。
すべての揺れは、怖れからなのかな。 ふと思う。
観想と思索中
大体十年位前のに見た風景だったが、今でもずっと事あるごとに思い出す風景があります。 朝から友人と沖釣りを楽しみ、さぁかなり釣れたし日焼けもして(日焼けというかほぼ火傷)帰る船の上。 夕暮れになろうとしてゆっくり日が落ち始めて、船のスピードが心地よい風を運んでくれていた時、うっすらもや掛かった風景の中に船が入っていった。 だんだん船のスピードが遅くなり、海面をゆっくりと進んでいく。なんでこんなにゆっくりと進むのかなと不思議がっていたとき、ふと船頭に目をやるとその理由がわかった。 「凪」だった。海面に何も立たず、ただ船は水平な水の上をゆっくり進んでいく。船の軌跡をみると、泡だった水の動きが吸い込まれるようにまた水平線を作り出す。圧倒的な静寂の世界。 この幻想的な風景はいまだに心の中から離れず、いまだに、目を閉じていても思い出す。多分、記憶の美化を多少なりとも伴いながら。 今読んでいる本の冒頭に「タンジブル」という研究をMITメディアラボてしている石井裕さんの言葉がある。 「アトムの大地とビットの海に挟まれた海岸で、今我々は物質世界とデジタル世界での二重国籍を操っていかなければならないという課題に直面している。」 この言葉を見ると、この圧倒的な凪の世界を思い出す。荒れ狂いながら静かに広がるビットの海は、私達に広大でどこに向かえばいいのか分からなくなるくらいのアトムの大地に運んでくれた。 その中でも判断をくだすのは、経験の中で生まれた信念だったり、想いだったりする。 それが正しいのかどうなのかは、その時たどり着いた岸辺でしかない。 その岸辺はまた新しい大地へ続き、また新たな岸辺から海に向かうのかもしれない。 [続]